未来は突然やってくる

20XX年の未来予想

未来の都市(1)都市の限界 

未来の都市(1)現代の都市が抱える問題 災害後の世界とは?


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これまで4回にわたって温暖化について取り上げてきましたが、あまりにも暗い話になってしまい、希望を持たせる必要があったために、敢えてドーム型の都市(生命都市)や宇宙時代という、まるでSFの世界のような構想を紹介することにしました。(発想は飛躍していますが、実現の可能性は十分あります)

温暖化について考えると、どうしても「予測が正しいのか?」「温暖化対策の必要性」「気象コントロール」「気候変動による被害」といった話に展開していきます。

そのようなスケールの大きな、不確定要素の多い温暖化についての話をすると延々と続いて収拾がつかなくなるので、ここでは、ひとまず取り上げるのを止めることにしました。

今回は今までと方向性を変えて「未来の都市」について考察したいと思います。


都市とは何か?

「未来の都市」について説明する前に都市が持っている特徴や抱えている問題を理解しておく必要があります。

ここからの話は人によっては不愉快に感じることもあるかも知れませんが、これはフィクションであり、ただの予測に過ぎないのものですので、あまり深刻に受け止めないで下さい。

まず「人間」と「自然」との間には距離があります。大自然は厳しく常に人間を排除しようとします。人間は弱い生き物なので過酷な自然の中で生きていくことは出来ません。冒険家は大自然に挑み、運が悪いと命を落とす事もあります。自然には壮大な美しさがあるけれども、夜になれば明かり一つない闇が支配する世界に一変し、決して自然は人間を寄せ付けないのです。

そのため大昔の人々は集落を作り、自然から距離を取りました。一方で人間は自然を開拓する方向にも変化していきました。(狩猟→農耕)集落は小さな集まりでしたが、それらが文明の発達とともに村や街になり、都市、大都市へと発展を遂げてきたのです。

つまり、「都市」とは人間が作り出したもので「自然」とは真逆の位置にあります。

都市は人間を受け付けない

人間は自然から離れて「都市」を作り上げました。

ここで話が終わるのなら特に問題はないのですが、残念ながら人間が作り出した都市には本質的な欠陥があるのです。

答えから先に言ってしまえば、

「自然」は人間を受け付けませんが、現代の「都市」もまた人間を排除する性質を持っているのです。


都市の中には閉ざされた箱のような形をした「部屋」が膨大にあり、部屋と部屋を繋ぐ「通路」が交錯し、果てしなく続く迷路のような構造になっています。そのようなコンクリートジャングルの世界は人間が持っている生命力を奪っているのではないか?と私は考えています。(こういった指摘は多くの人がしているでしょう)また、都市の雑踏に注目すれば、そこにいる群衆は、お互いに無関心で、分かりあえず孤独な存在です。この文章を書いている私自身も、都市においては、ただ動物の群れのように動き回っているに過ぎません。これは皆さんを侮辱してるわけではなく、人間の在り方(存在)についての考察です。

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確かに自然は人間を受け付けません。しかし、人間は自然と触れ合わないと少しずつ生命力を奪われていきます。

人間は生活の中で里山のような自然に触れる必要があるのです。それがストレスなく人間が生きていく最も理想の環境だと思います。人間は都市へ向かったために自然から離れすぎた訳です。

(これが極端な意見であることは理解しています)

果たして現代の都市に自然と触れ合う場所があるでしょうか?ごく一部を除いて、ある筈がないのです。何故なら、先ほど説明したように「自然」と「都市」の間には物凄い距離があるからです。性質そのものが正反対なのです。ここでいう都市は住宅地や工場なども含めた人間によって作り出された空間だと考えて下さい。

既に「都市」は色んな意味で限界が示されているのです。

都市は社会、経済、地球環境に問題がなければ、上手く機能して華やかで活気の溢れるものに成長します。それが多くの人々が想像する「現代の都市」の姿でしょう。

都市は人々を集め、生き物のように成長する経済活動の場です。


しかし、それは全てが上手く回っていればの話です。

もし、何らかの要因によって都市の機能が働かなくなった場合はどうなるでしょうか?(世界には、新しく出来たばかりなのにゴーストタウン化してしまった無計画な都市も存在します)


都市は災害に弱い (都市機能の限界)

将来の日本では災害によって都市(社会)が大きな被害を受ける事が予想されています。

南海トラフ地震」「首都直下地震」「関東地震」「火山の噴火・富士山」などが間違いなく起こると言われています。(正直、悲しくなるので、こういった動画を紹介したくはありませんが)

これらの動画は注意喚起の目的で制作されたと思われます。今後、対策を講じて被害の規模が抑えられるのか、それとも想定以上の被害が発生するのかは今の時点では分かりません。

都市の機能は災害によって脆くも崩れ去るのです。大地震津波の被害により多くの人の命が失われ、沢山の負傷者を出し、到る所で水、ガス、電気、食糧、などが供給されなくなり大混乱に陥るでしょう。

都市の限界

構造物が耐震設計されているのなら、ある程度の地震にも耐えうるでしょう。都市の限界が示されている例としては、構造物が破壊されなかった場合であっても、上の動画にあったような高層ビルの揺れによって、そこにいる人々が受ける心理的なダメージ・トラウマは大きなものになる筈です。建物は揺れることで地震のエネルギーを逃しているので、それ自体は大変素晴らしい技術なのですが、正直なところ、多くの人はこのような場所で働きたくはないですし、レストランなどで食事をしたくないと思うのではないでしょうか?

災害後は暗い社会になる

国全体で見れば災害が発生した後、都市=社会がどうなるのかを考えると、全てではないですが、ある程度は耐震設計の建物が持ちこたえてくれるでしょうし、早い段階での復興も期待できます。

しかし、その後の展開は家族や住宅を失った人々の生活、会社の倒産が相継ぎ、失業者が溢れかえるといった希望のない社会が予想されます。

絶対に、そうなるとは断言出来ませんが、有り得そうな展開として考えられるのは、下請け企業が地震津波の被害を受けてしまい、部品供給がストップし、大企業が製品を作れなくなる可能性があることです。もし、そうなった場合は従業員が出勤しても製品を組み立てることは出来ません。休業を余儀なくされるでしょう。(大企業は世界中に工場を持っているので影響が少ないという見方も出来ますが)

しかし、その間にも人は食べていく必要があるのです。会社が製品を作れないので休業になった。会社そのものが倒壊して無くなった。工作機械が壊れた、製造ラインが動かない。道路が寸断された。水道が使えない、燃料がないので通勤できない。技術者が亡くなったなど・・・。

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会社が潰れた、休業になった。親が亡くなった。こういった状況でも人は生きていく為に食べていかなければなりません。


食べものは農作物だけではありませんが、分かりやすく農業に限定して考えると、農業をするにはトラクターなどの農業機械を使い、収穫したものをトラックで運びます。それらを動かすには燃料と乗り物を操縦する人材が必要です。収穫や手入れの作業にも賃金が発生します。そして収穫したものを冷蔵施設で保管しておくには電力を使います。最後に、お店で従業員(賃金・電気代が発生)が売るといった形を経て私たちが食品を手にするのです。


話がそれていますが、大災害によって失業者が増えた状況でも燃料を買ったり、海外から食糧を輸入したり、国内で生産されている、それなりのコストが掛かっている農作物を買わないといけないのです。

もし、この時に無人農業(AI農業)・無人配送が稼働していれば・・・・

mirainosekai.hatenablog.com

mirainosekai.hatenablog.com

食品や、あらゆる製品の容器・包装材(ケース)はプラスチック、ビニール、紙、金属によって作られていますが、それらの殆どが原料を輸入して製造・加工しているのです。

mirainosekai.hatenablog.com

やりようによっては救いのある展開が用意できるかも知れません。


これから訪れる大災害と、その後の「復興」は終戦からの「復興」とは決定的に違います。当時は世界情勢のバランスなどもあって欧米からの支援を受けられたことも有利に働いたのですが、その時には、まだ技術力や作るものがあったので見事に復興することが出来ました。 ですが、今の世界経済というのは当時と状況が違います。まるでプロスポーツのような世界になっているのです。プロスポーツに例えた場合、大災害を怪我に置き換えて頂くと分かりやすいですが、怪我をして2、3年休んでいた選手がプロの世界に戻れる場所があるとは到底思えません。


日本企業のポジションの話になるのですが、似たような製品を作っている企業は世界中に沢山あるので、日本企業が抜け落ちた瞬間に、そのポジションには別の海外の企業が入ることになるだけで、世界には何も影響はありません。(これは日本からの見方なので視野は狭いですが)

結果として状況が、そのように強制的に移行してしまう可能性があります。

大災害が起きた後は、企業の国際競争力の低下、経済の低迷。失業者が増えるといった流れになるのではないでしょうか?

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必ずしも、そうなるとは限らないですが、最悪の場合どうなるのかを言葉で説明するのは難しいので、私が考えているイメージを理解して頂くために、映画の世界観を借りたいと思います。

皆さんは1988年に公開されたアニメーション映画「AKIRA」アキラ(大友克洋監督)という作品を観たことがあるでしょうか?

※ご存知ない方は ↓「映画 AKIRA」で検索して下さい。
https://www.google.co.jp/search?q=映画 akira

この作品の内容は2019年のネオ東京を舞台に、超能力バトルを繰り広げる主人公たちを描いたものです。映像美や派手な展開でアニメーション作品の中でも高く評価されています。

ここでは映画の感想、面白さというのは置いておいて、映画の中の「都市」に注目して下さい。

特に超能力バトルが本格化する前の、まったく活気のない、病んだ「都市」(=社会)の描かれ方は非常にリアリティがあります。当然、物語なので誇張されて表現されている部分もありますが、地震津波後の日本社会の雰囲気が映画のようになっている可能性が少なからずあるのです。(大災害ではなく、もしかすると戦争に置き換わっているかも知れません)

アニメーション映画「AKIRA」で描かれる都市に住む人々は夢や希望を持っていません。


おそらく、この映画を見た殆どの人が「AKIRA」の世界の住人にはなりたくないと思う筈です。



ここで私が考えたのは(思考実験として強引に結論付けるなら)

※範囲を拡大していますが都市は住宅地や会社や工場など人間が作り出したもの全部を指しています。

○ 現代の都市には未来がない

1 自然から離れすぎたこと。
2 災害によって都市(=社会)が機能しなくなる。

○ 大災害は人間ではなく、都市に襲いかかる

○ 都市に依存している人間が被害を受ける

物凄く単純化すると、このようになると思いました。そして、ここから導き出される答えというのは 、

「都市」を作り変えていく事なのです。


現代の都市に未来がないのなら、壊滅が訪れる前に都市を「解体」すれば良いのです。

実際に、このように考えているのは日本中でも、おそらく私だけでしょう。都市を「解体」すると言うと、まるでビルを取り壊すかのようなイメージを持たれて不安になるかと思いますが、決してそうではないのです。

次回、未来の都市(2)に続く。