自然エネルギーの普及。夜勤が禁止される。原子力・火力発電が不要になる社会。(温暖化・環境対策1)
自然エネルギーの普及
このブログでは今まで温暖化、森林火災、サンゴの消滅、砂漠化、人口爆発などを取り上げ、徹底して不安を煽ってきましたが、今後の記事では実現性のある解決策について前向きな話をしたいと思います。
最初に温暖化(環境)とエネルギーについての関係を説明する必要があります。そこから「夜勤が禁止されるべき理由」と「私たちの生活が変わること」に話が展開していきます。
●次の時代には原子力と火力発電は不要になる
私たちは普段の生活の中で電気を使って生活しています。この電気は誰でも知っているように発電所で作られるのですが、発電方式には主に火力、原子力、水力、太陽光、風力という5種類があります。
●火力発電
火力は石炭、石油、天然ガス(液化天然ガス LNG)を燃焼させることで稼働しています。長い目で見るとCO2排出を続けることになるので、火力発電は今後は使えなくなる発電方式であると考えておいた方が良いでしょう。原発と比べて危険性も無く、現在は最も安定して発電できる方式かも知れませんが、CO2排出を考えると、どの道、先はありません。
●原子力発電
原発の運用は危険であるばかりでなく、経済的にも無駄であると言わざるを得ません。仮に廃炉にしても将来にわたって管理費用など莫大な損失を出し続けなければいけないのです。
稼働中に事故が起こった場合は周辺住民は避難しないといけません。
過去に起こった幾つかの原発事故による影響で、今の時代に原子力発電所で働きたい、原子力の研究者を目指そうという人はいません。また、原発の内部は複雑になってますが、そういった放射能の危険がある場所でも交換などのメンテナンスは人間がやらなければいけないのです。
電力は得られるかも知れませんが、正直なところ原発は、もう誰もやりたくないわけです。
●世界の潮流はCO2削減、自然エネルギーへ
2011年に起きた原発事故の後、いくつかの国が脱原発へと進むことを目標に掲げました。またパリ協定に多くの国が批准したことで、CO2を排出する火力発電も将来的には減少し、いずれ無くなる方向に動いていく可能性が高いと思われます。
つまり、もう原子力・火力発電というのは将来性のない発電方式なのです。そこに資金を使うくらいなら、早めに見切りをつけて自然エネルギーに回した方が明らかに得策なのです。
そして実際に世界は自然エネルギーの方向へ着実に動いています。
●資源国への配慮
世界中で火力発電を減らしていくと、おそらく天然ガスなどを輸出している資源国が困るはずです。この問題に対しては、例えば消費量が5分の1になれば輸入国が5倍の値段で買うことで対応すればいいと思います。20分の1の消費量になれば20倍の値段で買えばいいのです。
最終的には全世界の消費量がゼロになる日が来るとは思いますが、その間に資源国は自然エネルギーへの投資をする資金を得ることが出来ます。
重要なのは、どのような方法を使ってでもいいので全体の消費量を減らす事です。
●自然エネルギーに切り替えられるか?
自然エネルギーには主に太陽光発電と風力発電があります。(水力はややこしいので除外します)
多くの人は、火力と原子力発電がダメならば自然エネルギーに切り替えればいいと考えるはずです。
しかし、この2つの自然エネルギーの発電方式の問題点は発電量が一定でないことです。つまり天候や風の強さによって影響を受けてしまうので、電力を安定供給するには火力発電などを組み合わせて運用していく必要があるのです。
このような、不安定な問題が存在するので、絶対に自然エネルギーだけでは無理だという見方があるわけですが、しかし、私はこの点については技術の問題に過ぎないので必ず何らかの方法で解決出来ると考えています。
0から1にするのは、この世界に無かったものを発明・創造するのと同じなので非常に困難なことですが、1から100にするのは難しくありません。既に太陽光・風力発電は現実に存在しているのです。1だったものを100にするだけですので、後は数の問題(費用)に取り組むだけで済みます。
●夜は今よりも暗くなる。
風力は何処かの地域で風が吹けば発電できますが、しかし太陽光発電は天候に左右され、夜間には絶対に発電出来ません。
●太陽光発電は昼には発電出来るが、夜には発電できない。
地球は球体の形をしています。地球は太陽の光を受けた昼の部分と、その反対の暗くなった夜の部分に分かれているのですが、世の中を大きく変えるには、こういった地球規模の視点を意識する必要があります 。
つまり、何が言いたいかというと・・・。
●太陽光発電が使えない夜間の電気料金を高く設定し、昼は安くするのです。
生活に支障が出ると困るので、夕方から21時くらいまでは、少しだけ高めの料金にして、それ以降は段階的に料金を上げていく設定にします。夜遅くなると、電気料金がもの凄く高くなる訳ですから誰もが早く寝なければ・・・と思う筈です。50年くらい前のように「夜は暗い」が当たり前の世界に戻すわけです。
それでも、今の人たちは夜中に起きて何かをしたいと考えるでしょう。その場合は昼間に充電したタブレットやノートパソコンでダウンロードしておいた動画を見るとか音楽を聴くとか、机や枕元で消費電力の低いLEDライトをつけて本を読んだりするようになると思います。
これがネットにアクセスしたり、テレビを見たりするほど電力の供給が安定するかは、風車を沢山設置することや、水力発電や充電池の普及などが必要になってくるので今の段階ではどうなるかは分からないです。
夜になると太陽光発電が利用できなくなるため、夜間の電気料金が高くなるという設定にすると、殆どの人は割に合わないので電気を使わなくなります。つまり電気を使う人が少なくなれば夜間は火力も原子力発電も使わず、風力だけで世の中を動かす事ができます。(理論上は)
ただし、実際には風力発電だけでは厳しいので、昼の間に太陽光・風力発電によって作り出された余剰電力を充電池に溜めたり、水力発電の揚水をするために回すという方法が主流になるかと思います。
しかし、充電池が一般に普及するまでには、それなりの時間が必要になってくると考えられます。
そのため太陽光・風力発電と充電池をセットで普及させていく戦略がいいでしょう。
●夜勤が禁止される。
このような電気料金の値上げによる影響を受けて、企業側も利益が減少するので次第に夜勤が行われなくなるという流れになるでしょう 。
※しかし、ここで重要なのは昼の仕事を増やさないようにするという事です。企業は製品のバリエーションを少なくしたり、部品を共通化したり、作業全般の効率化を図ったりして対応する必要があります。
このように電気代が高いから夜勤をしなくなるという方向性が一つ。要するに「お金」の力を使うわけです。
もう一つは「夜勤を禁止する」と上から規制をかけることです。
夜勤を続けることで健康や精神面へ及ぼす悪影響が深刻であるから禁止にするべきといった理屈を用います。要するに「夜勤を禁止する」という方向性は環境とエネルギー問題に対応し、さらに労働者の健康問題にも対応しているのです。
話が「環境への取り組み」から脱線しますが、ここでは夜勤労働による悪影響を説明したいと思います。
●身体への負担
夜勤の直接の影響としては疲労感、だるさ、めまい、ふらつき、吐き気といった形で現れます。
また、臓器などへの負担も考えられます。
その他の精神面への影響は睡眠不足によるイライラ、不安、落ち込みやすくなる・・・それらの症状が酷くなると、うつ病などにも繋がってしまい、大変危険な状態に陥ります。
そもそも、人間というのは夜中に活動するようには出来ていません。太陽の1日の動き、日の出、日の入りと合わせるように人間も活動するようになっているのです。人間もまた太陽活動と合わせて成長する植物などと同じ自然の一部なのです。
太陽の動きという不変の法則に、健康を犠牲にしてまで逆らっているのですから、こういった社会というのは根本の所から間違っていると言わざるを得ません。作らなくてもいいような製品を一生懸命になって夜中に作っているのです。そんな物は本当は別に無くても困らないのです。
ある企業が10種類の製品を作っていたら5種類くらいに製品数を絞れば、夜勤をしないで済むのです。
※夜勤を禁止するといっても警察、消防、病院、介護施設などは社会に必要なものですので、絶対に無くす事は出来ません。
ここまでの話で重要な点は
●原子力・火力発電の時代が終わる。
●自然エネルギーの普及。太陽光・風力発電が主流になる。
●太陽光・風力発電を沢山設置すれば自然エネルギーの弱点は解決される。不足分は充電池などを用いたり、水力発電など他の発電や政策でカバーできる。
●夜間の電気代を上げて、電気を使わせないようにして原子力・火力発電への依存を減らす。
●電気代が上がるため企業は夜勤を行わなくなる。
●夜勤を禁止にする。
次の時代は地球環境を重視したシンギュラリティ社会になる
多くの人はEVが普及すればCO2排出の問題が解決すると気楽に考えているかも知れませんが、実際は、そう簡単にはいかないのです。EVの普及率を上げると膨大な電力が必要になってきますので、どうしても原発・火力発電の依存から抜け出せなくなります。そうなると「原発や火力発電で動くEV」という事になり、そもそもEVにする意味も失われてきます。
ですから、ある程度の犠牲を覚悟した上で原子力・火力発電に依存する社会を終わらせて社会全体を大転換する必要があるのです。
次の時代は「自然エネルギー」と「EV」によって動く社会になります。
犠牲というのは電気代やガソリン代などの形で私たちの暮らしにも影響してきますし、大雑把に言えば社会、経済活動をこじんまりとさせるという事でもあります。先ほどの製品数を減らすというアイデアは確かに過激な意見ですが、環境のことを考えると、どうしても避けては通れないのです。現在の世の中では膨大な生産数、物流量があるわけですが、それらを少なくとも20~30%は減らしていく社会を目指さないことには上手くいかないのです。(もしかすると20~30%という数字でも足りないかも知れません)
社会が次の時代に移行するまでには、どうしても時間がかかります。その間に温暖化の加速要因や人口爆発といった問題が簡単に解決するとは考えられません。どれだけ急いだとしても限界があるのです。それだけ今の社会は環境を悪くする方向に構築されているのです。
ですから、このまま私たちが何もしないでいるという選択肢はありません。
環境、エネルギー、労働環境など様々な問題を一気に解決するには、今まで、このブログの記事で取り上げてきたような技術やサービスの導入が進んだ
「シンギュラリティ社会」を目指さないといけないのです 。
厳密には「シンギュラリティ社会」「シンギュラリティ経済」などという表現はシンギュラリティ(技術的特異点)という言葉が持つ意味からすれば完全に間違った使い方をしていると言えるでしょう。シンギュラリティ提唱者のレイ・カーツワイル氏には大変申し訳ないのですが、便利な言葉ですので、このブログでは勝手に使わせて貰おうかと思います。
このブログで主張する「シンギュラリティ社会」「シンギュラリティ経済」というのは
「自動運転車」「AI」「ロボット」「バーチャルリアリティ」「無人の店」「無人の農業」「無人配送」・・・などの新しい技術やサービスを用いて動いていく社会や経済のことです。
その中には当然、環境への負荷がかかる原子力や火力発電はありません。
「自然エネルギー」と「シンギュラリティ社会」はセットになっているのです。
次回は「シンギュラリティ社会と環境」について記事にしたいと思います。